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2019年12月28日 U-22日本代表 対 U-22ジャマイカ代表

2019/12/31(火)

2019/12/28(土)日本/長崎県・トランスコスモススタジアム長崎
U-22日本代表 9-0(5-0) U-22ジャマイカ代表

――お誕生日おめでとうございます。この試合の翌日の12月29日は賀川さんの95歳の誕生日でした

賀川:ありがとうございます。忘年会を兼ねて神戸FCの友人や古いサッカー仲間に集まってもらい、お祝いをしてもらいました。この年齢までサッカーに関わることができて、本当にありがたいことです。

――若い選手が奮起して、最近では珍しいゴールラッシュでした

賀川:選手の顔にシワが全然ありませんね(笑)代表で多くのゴールが決まる試合を観るのは、お客さんにとっても楽しいものです。やっている選手も自信をつけることができます。試合の最中に思い切ったプレーをして、成功すれば、試合中に上達することができます。U-‐22日本代表は前回のコロンビアとの試合で納得のいかない試合をしていました。アジア選手権(タイ)のメンバー発表を翌日に控えていたこともあり、選手はそれぞれ、この試合に懸ける強い思いがあったのでしょう。個人的な競り合いでも、グループでのボールキープでも日本の方が上でした。すべての選手がアジア選手権にいくわけではありませんが、大会に向けて調子を上げていく上で、いいゲームになりました。

――中山の直接FKが前半6分に決まり、ゴールラッシュの幕が上がりました

賀川:FKはチームにとって大事な武器ですから。こういう試合で決めると大きな自信になります。スピードにしてもコースにしても素晴らしいゴールでした。前半から前の選手の動きに対して、中盤からきっちりとボールが出ていました。前の選手もしっかりと競り勝っていました。FW前田大然が試合開始から前線で走り回って、プレッシャーをかけたこともあり、主導権を握ることができました。彼は足も速いし、ボールキープを見ても体が強い。得点は9点ですか。前半に5点も取ると、後半は選手の気持ちが緩むときもありますが、そういうこともなく、同じように攻めました。ひとつひとつの競り合いも取って、終始攻撃的でした。森保監督の性格やチームづくりに対する考え方が表れていましたね。どんな相手に対しても、全力でやるということが徹底されていました。攻撃はサイドに開いて、逆サイドにスペースをつくるということを意識しているようでした。どうやって得点を取るかということを選手が自然とやっているように感じました。選手は動く量も質も落とさずプレーしたのがよかったのではないでしょうか。今回チャンスをもらった選手がこれだけ結果を残すと選手層が厚くなりますね。五輪はトップの11人、ベストメンバーの11人だけで戦うわけではありませんから、実りの多い試合になりました。相手がもうすこし歯ごたえのあるチームでしたら、なおよかったでしょうが。

――いよいよ2020年東京五輪イヤーがやってきます

賀川:東京五輪はホームですから、大きな後押しをもらえますが、逆に選手が硬くなることもあります。選手の力を上げることは当然ですが、いろんな交代の策を持っておくことが大切になるでしょう。1964年の東京五輪はサッカーの取材にいきました。閉会式の原稿も書きました。記者席に巨人の長嶋茂雄と王貞治を連れて観戦記を書かせていた新聞社もありましたね。私は当時サンケイスポーツでデスクをしていましたが、会社を抜け出して、会場の駒沢陸上競技場にいきました。顔なじみの記者から「賀川さん、えらいもんですな。五輪でデスクしないといけないのに、会社を抜け出して自分の好きな種目だけ見に来るなんて、大記者やないとできませんよ」と冷やかされました。「サッカーのええ試合ぐらい見させてもらわないと、何のために新聞記者やってるか、分からへんやないか」とこたえましたけどね(笑)。会場は日程の都合で、国立競技場ではありませんでした。組織委は当時のサッカー人気ではお客さんが満杯にならないと思ったのかもしれません。駒沢は満員でした。長沼健さんが監督で、初戦にアルゼンチンに3-2で勝ちしました。逆転勝ちでした。ノックアウトステージには進出できませんでしたが、あの逆転勝ちがあったので、翌年始まった日本サッカーリーグの第1戦に2400人ぐらいのお客さんが入り、俊さん(故岡野俊一郎氏=元日本サッカー協会会長)が「こんなにたくさんのお客さんが来てくれた」と喜んでいました。サッカー界の最初の盛り上がりをつくったのは、1964年の東京五輪で、1968年のメキシコ五輪の銅メダルにつながったわけです。当時を思えば、東京五輪が終わった後、あらゆるスポーツが盛んになったわけではありません。野球人気一本のところに迫っていこうという存在になったのがサッカーでした。2020年の東京五輪でも、日本のサッカーがもう一段上の厚みをつけるために、代表チームには頑張ってもらいたいですね。

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