【番外編】キリンチャレンジカップで見た「香川真司の目線」
――11日の試合でも見られるでしょうが9月6日のキリンチャレンジカップで香川真司のプレーを見て「パスを出す前の目線」の話をしていましたね。もう一度聞かせてください。
賀川:ああ、キックオフ直後の清武~香川(ヒールパス)~本田というシュートチャンスのしばらく後で、香川が左タッチライン沿いでライン上の縦パスを送って本田圭祐のドリブルからのチャンスメークにつないだ時の話ですね。
――そうです。ハーフウェイラインあたりのライン際でパスを受けた
賀川:(1)ボールを右足アウトで止め、内側から詰めてくる相手と、さらに内側にいる仲間に視線を向けた
(2)ひと呼吸後に向けた目を自分の足元に落とすと
(3)ボールを右足のインサイドのタッチでライン上に押し出し
(4)前方の本田へパスを送った
(5)彼の右足アウトサイドで蹴られたボールは、タッチラインに沿って真っすぐ転がった。(実際にテレビには映っていない)
外側へ回転がかかっているので、ラインぎりぎりのところを左外へ出ることなく30メートル近くを転がって、本田の足元に達した。
――その後は、本田が相手DFと競り合いながら中へかわして、ペナルティエリアの左根っこに持ち込み、クロスを送ったがDFがクリアし左CKとなった
賀川:「パスを出すときには、出す方でなく、まず出さない方へ目線を送り相手を惑わす」という常識、あるいは定石があって、真司がそれをしただけのことなのだろうが、私がこの常識を先輩たちから教わったのが、1930~40年代いわば70年前の話ですよ。なぜそんな古くからの常識について記憶が強いかというと、セルジオ越後が1972年に来日し、75年に永大産業という企業チームのコーチをした時、彼が私に言ったのは、「ぼくがパスを出すと選手たちは、自分たちの方に顔を向けてくれないからパスを受けられないと言うんです」ということ。つまりセルジオは顔の向き(目線)と違う方へパスを出したのに対して、仲間が苦情を言ったということなのです。
――ふーむ
賀川:日本代表が68年にメキシコ五輪で銅メダルを取った日本のサッカー界だが、日本サッカーリーグ(JSL)のプレーヤーたちにも、私たちが旧制中学生のころに知っていた常識が通じないところもあるのだ―という驚きだった。
――それが賀川さんがセルジオ越後のバックアップを考えた理由のひとつ
賀川:バックアップできたかどうかはともかく、こういう当たり前のことを教えてくれる人がいれば日本サッカーの進歩も早まると思ったね。
――その目線の常識が
賀川:セルジオのその話を聞いてから10年ばかり後に、1986年のキリンカップサッカー86の決勝パルメイラス(ブラジル)対ブレーメン(西ドイツ)でブレーメンが勝ったのだが、この時の決勝ゴールが、当時ブレーメンにいた奥寺康彦のパスからだった。
――奥寺さんはこの9月10日に日本サッカー殿堂入りの表彰を受けられましたが、当時はブレーメンでしたね。この時のキリンカップはパルメイラスとブレーメンと日本代表、アルジェリア選抜の4チームのリーグの後、1位パルメイラスと2位ブレーメンによる決勝となり、延長の末ブレーメンが4-2で勝ちました
賀川:4-2だったかな。そうなると決勝ゴールかどうかはともかく、大事なゴールに奥寺の「目線」がからんでいた。左サイドのタッチ際で彼はボールを受け、内側に目を向けたままオーバーラップする仲間に縦パスを送り、クロスがヘディングシュートのゴールにつながった。私はその時、奥寺が目線を中に残したまま左前方へ何気ない風にパスを送ったプレーに高いレベルのサッカーでも常識は生きていること、そしてその常識をさりげなくやって見せる彼の進化に改めて気づいたのですよ。
――86年の奥寺さんの思い出と、2012年の香川真司が重なったということ
賀川:目線とパスの方向などと言うと、大げさだがキリンカップやキリンチャレンジカップの選手のプレーにはその時々の日本サッカーのレベルなどと思い合わせて、私のような者には感慨ありということですよ。
――それぞれのプレーにもその時々の日本サッカーそのものの背景があるわけですね。やはりこういう大会も年月とともに味わいが深まりますね。
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