« 2006年8月 | トップページ | 2007年2月 »

2006年10月

10月4日 日本代表 vs ガーナ代表

2006/10/04(水)

ガーナを相手に気迫で負けなかった日本代表
 ~ 新味の第一 今野泰幸、播戸竜二の登場 ~

キリンチャレンジカップ2006
10月4日(横浜国際競技場)19:20
日本代表 0(0-0 0-1)1 ガーナ代表

【日本代表メンバー】
GK: 1川口能活(cap)
DF: 4水本裕貴、8三都主アレサンドロ→10二川孝広(86分)5駒野友一
MF: 7遠藤保仁→14中村憲剛(75分)13鈴木啓太→17長谷部誠(79分)6阿部勇樹、20今野泰幸、16山岸智→21播戸竜二(67分)
FW: 18巻誠一郎→9我那覇和樹(72分)11佐藤寿人→22羽生直剛(63分)
SUB: 12山岸範宏、23西川周作、2山口智、3青山直晃、15田中隼磨、19佐藤勇人

【ガーナ代表メンバー】
GK: 22キングソン
DF: 2サーペイ、5メンサ、4イリアス、13モハメド
MF: 7キングストン、8エシエン、10アッピア(cap)11ムンタリ→23ハミヌ(67分)
FW: 9アゴゴ、3ジャン→19ピンポン(67分)
SUB: 1アジェイ、15ディッコ、17クエ、21イサ、18アッド、14アサモア

◇2007年のアジアカップの予選で、すでにグループAの2位以内が確定している日本代表だが、世界基準のチームを目指すためには、アジアのレベルを越える強チームとの対戦を考えるのは当然のことだ。
ガーナはドイツでのワールドカップの1次リーグを突破し、16強に進んだ。そのノックアウトシステムの1回戦でブラジルに0-3で敗れたが、激戦区のグループCでチェコを2-0、アメリカを2-1で破った(イタリアに0-2で負け)実力は高い評価を受けた。

◇ガーナはもともと金の産出からゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていた。19世紀に英国の植民地となり1957年に独立した。サッカーの導入はアフリカでは最も古いところのひとつ。英国人によって1922年に黄金海岸FA(GOLD COAST FOOTBALL ASSOCIATION)が設立されたという記録も残っている。
ワールドカップには今度のドイツ大会が初出場だが、オリンピックには1964年東京大会いらい再三出場して92年バルセロナ大会で銅メダルを獲得している。東京大会の1次リーグでアルゼンチンを破った日本が次の試合でガーナと対戦して2-3で敗れている。
私はこのときガーナの選手に、技巧よりも激しさを感じたが、今度のドイツ大会でも、ガーナ選手たちのボールへの接近の早さとそのスピードを緩めずに体をぶつけてくる激しさが目立っていた。このガーナのファウルを含む体当たりにチェコの選手たちは手を焼いていた。

◇来日メンバーは、ドイツ大会のメンバーがほとんどそろっていた。チームの軸となるのはアッピア主将(25)とエシエン(23)の2人のプレーメーカー。
エシエンはあのイングランドのNO.1チェルシーのレギュラーMFランパードやマケレレとともにプレーをしたスター軍団のひとり。来日19選手のうち18人が国外でプレーしている。
アフリカといえば、ナイジェリアのカヌーやオコチャのような特異な感覚と神秘的なプレーを思いがちだが、ガーナの代表は激しさと体の強さに豊富な運動量といったヨーロッパ的な色合いが強い。

◇したがって、新しい日本代表が、彼らとどう向き合うかがみどころのひとつだった。
実際の試合で日本代表は気迫でも、体の当たりでも負けなかった。
2002年ワールドカップの代表の監督となったトルシエは、まず戦う姿勢を強調し、ジーコも同じだった。その強い姿勢で勝った試合もあり、途中で腰砕けになってサポーターを失望させたこともあった。今回は親善試合で、相手に練習不足や長い旅といったハンデはあったろうが、彼らの激しさに対して日本代表が一歩も引かなかったのは、まことに頼もしかった。

◇新しいメンバーをガーナ相手にテストできたのも今後のプラスのひとつだろう。
田中闘莉王と坪井慶介に代わって、千葉の水本裕貴(21)とFC東京の今野泰幸(23)がDFラインに入り、千葉の山岸智(23)がMFに起用された。
183センチの水本は現代のトップ級サッカーのDFでは決して大きい方ではないが、15年前なら、このサイズのこの年齢で、彼のような早さと動きの量とこの程度の1対1の対応のできるディフェンダーを見つけるのは簡単ではなかった。そのことを考えれば、千葉をはじめJの各チームの育成部門のコーチたちにも感謝したいところだ。彼のマーク相手ピンポンの早いクロスを足の間を通され中央でハミヌにゴールを奪われたが……。
山岸智は動きの大きさという点では、さすがにジェフ育ちだ。中盤のこのポジションでは後方からボールを受けることも多いから、スクリーニングプレーの上達を見たい。
今野泰幸の起用はうれしいことのひとつ。ジーコが何故代表に入れなかったのかが不満であり不思議でもあったからだ。
83年生まれで、若さという点で不安を持ったのかも知れないが、2002年代表の明神智和(78年生)と同じように危険地帯を察知する能力、前へ飛び出してゆくタイミングといった、普通のディフェンシブハーフが年期をかけて掴んでゆくプレーを若いうちから身につけている彼は、明神よりもひとまわり体が大きく、接触プレーでの粘りも、日本のディフェンダーより強いものを持っている。この日は3DFのひとりとしてプレーした。多少、遠慮もあったらしくパスミスもあったし、ポカもあってピンチを招きはしたが、あらためて、このどこでも守れる選手を何故ドイツへ連れて行かなかったのか――と思ったほどだ。

◇ 鈴木啓太という、いま脂ののっているボランチと促成の3FBと駒野友一、三都主の両サイドの攻めあがり、そして遠藤保仁の配球、さらには佐藤寿人、巻誠一郎の2トップによって、まずは互角の戦いでシュートは相手が12本、当方が8本。ガーナのルロワ監督は「ガーナはもう1点は取れたろうし、日本も2点くらい取ってもいい試合」と語ったが、日本側が0だったのは、やはり得点力・決定力の不足ということになる。
ジーコ監督のとき、ボールポゼッションはよくなったが決定力がないといわれ、それが、いまも、よく走ってチャンスをつくるが点を取れない――となっている。

◇点が取れないのは、ゴール前、あるいはチャンスのときに落ち着きがないから――という声もある。
しかしチャンスの際に冷静でいられるためには、シュートそのものに自信と“いま”を掴むカンあるいは読みがなければならない。
佐藤は自らがシュートポジションへ入るよりも、パスの中継点やラストパスの出し手になることがあった。遠藤の飛び出しにダイレクトパスを送って不成功だったのは、得意の左足だけに工夫の余地があるだろう。
巻は前半の早いうちにノーマークで相手ラインのウラへ出てボールを持ちながら、パスを選択した。この選手は、ここという仕掛けの際の最初のボールタッチが大きくなりすぎることがある。Jリーグでも見られることだが、それを修正するのか、そのままでゆくのか――である。

◇ 播戸竜二という選手は、かつての釜本邦茂のように、ゴールを目指す姿勢を持ち続け、絶えず、どこでシュート(ヘディング)をと狙っている。それがガンバというキープ力、パスの組み立ての良いチームのなかで開花している。もともと、相手DFのボールを奪ってでも点を取るタイプ――いわゆるビューティフルゴールというよりも“じじむさくても1点は1点”というタイプの選手で、リバウンドやコボレ球にも執着する。
67分に山岸と交代し25分間プレーした。シュートは1本で、これは外したが、彼の動きが仲間に理解されればゴールにつながるだろう。

◇78分に登場した長谷部誠に見られたように、ガーナを相手に新しい日本代表は1対1でもボールを持ったときには、仕掛けてゆく姿勢が多かったのは、日本代表としても、あるいは日本全体としても進歩には違いない。
あとはゴールを生むだけであり、それにはFWがゴールへの執念を燃やすこと、そしてまた他のプレーヤーも、シュートの技を磨くこと、シュートの際にはボールをきちんと見て蹴る(ヘディングする)という基本にかえることである。

KIRIN LOVES SOCCERへ

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


« 2006年8月 | トップページ | 2007年2月 »