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2004年7月

7月30日 日本女子代表 vs カナダ女子代表

2004/07/30(金)

ランと組織とゴールへ向かうひたむきさ 日本サッカーの伝統を見た

キリンチャレンジカップ2004 
7月30日(国立競技場)16:30
日本女子代表 3(2-0 1-0)0 カナダ女子代表

■ 安藤のドリブルからPK
■ 川上のクロスと大谷のヘディング
■ 荒川の強さとスピード

 上田栄治監督は、疑いもなく、今年の日本スポーツ界の功労者のひとりとなるだろう。

 オリンピックの場に、女子の代表チームを送ることが、どれだけ人の心を弾ませることか。
 もし、北朝鮮との試合に、これまでと同じように敗れていれば、私たちにはアテネでの女子サッカーという大きな楽しみはなかった。勝ち負けはスポーツの常であっても、予選を突破した意義はまことに大きく、上田監督と選手たちの努力にあらためて感謝しなくてはなるまい。

 といって、大会に出る以上、多くの人の目が集まる。参加しただけでよかったとも言えない。負けん気の強い女子イレブンは、出る以上は上までゆきたいと強く願っている。
 その彼女たちの成長ぶりを、このキリンチャレンジカップで見られるのである。心が弾まないわけはない。

 実は私自身、女子サッカーには多少のかかわりがある。大先輩の田辺五兵衛さん(故人・元日本協会副会長)の持論、「サッカーの興隆は女子への普及から」の意をうけ、加藤正信さんを頭にして、まず日本最初の女子の試合を神戸サッカーカーニバルで計画し、ついで神戸FCに「レディース」の部門を設けた。30年以上前の話である。
 そのレディースが腕を上げるとともに、女子の日本リーグ結成となり、私が神戸FCの専務理事を務めているときに、はじめ田崎真珠の力を借りることにし、ついで選手全員に田崎へ移ってもらうことにした。田崎社長の決断と関係者の努力で、いくつかの企業が女子サッカーから退くなかで、田崎はチームを継続し、強化して、いまでは日テレとともに日本のトップを争っている。もちろん代表にも選手を送り込んでいることはご存知のとおり。そんな経緯もあって直接にはかかわらなくても思い入れは強い。

安藤のドリブルからPK

 この日ナマで見た彼女たちは――、大黒柱というべき澤穂希(さわ ほまれ)はプレーしなかったが、全員の豊富な動きと、確かな技術を生かす組織でカナダ代表に圧勝し、壮行試合を3-0のスコアで飾った。
 彼女たちのプレーは、さきの北朝鮮との試合で見せたとおり、動くこと、つなぐこと、積極的にシュートすること――つまり、日本が1936年のベルリン・オリンピックいらい世界で自らをアピールする「敏捷性を生かす組織プレー」の伝統を、男子と同じように見事に受け継いでいる。

 カナダ代表は若手に切り替えたところで、まだチームワークも悪く、動きも鈍かった。
 前半9分に生まれたPKは安藤梢(あんどう こずえ)を止めようとしてトリッピングしたもの。中国の張冬青レフェリーの笛が鳴ったとき、厳しすぎるようにみえたが、スロービデオでは安藤の足へはいったタックルをとらえていた。このPKを大谷未央(おおたに みお)が右サイドキックで右下隅へ決めた。

川上のクロスと大谷のヘディング

 右サイドで大谷からのパスを受けた安藤の積極的なドリブル突破がもたらしたPKだったが、この先制ゴールで勢いづいた日本は11分に2点目を奪う。

1)中盤やや深いところから山岸靖代(やまぎし やすよ)が前方の荒川恵理子(あらかわ えりこ)の足もとへ、
2)DFを背にして確実にボールを止めた荒川は酒井興恵(さかい ともえ)へもどす。
3)酒井はこれを右サイド深い位置へ送ると、川上直子(かわかみ なおこ)は高速で走りあがり、止めずに中央へハイクロスを送った。
4)ボールはGKの上をとおり、ファーポストへ。
5)そこへ大谷が飛び込んでヘディングした。

 荒川が確実にキープしてバックパスをし、反転してゴール目指して走った勢いに相手DFが中央部を警戒したとき、酒井が右オープンスペースの、それもやや深い位置へボールを送ったこと。川上がこのボールをファーポストへ送り込んだこと。それぞれの技術と着眼が大谷の2点目となった。

荒川の強さとスピード

 この2ゴールでほぼ勝負あったという形になる。
 後半は、カナダのボールへの寄りが早くなって、随所に激しく競り合う場面がみられた。こうしたボールの奪い合いのときにも、日本選手は体は小さくても負けない強さがあり、また、ボールに集まる人数も多くて、簡単にカナダ側に渡すことは少なかった。もちろん日本側にパスミスもあったが、平均してボールテクニックが高く、タテへでる強さが目立った。
 ゴールこそならなかったが、荒川恵理子の速さと体の強さは両軍のなかでひときわ目立っていた。
 後半33分の3点目は、小林弥生(こばやし やよい)からのスルーパスを受けた荒川が、強いクロスをファーポストへ送り、相手DFが止めそこなってオウンゴールとなったもの。このときもファーポスト側に安藤が走りこんでいたから、彼女たちの間に、互いのプレーの理解と、ゴールに結びつけるやり方が身についているといえる。

 ひとつひとつのボールをめぐる争いの局面で見せる気持ちの強さはすごい。基礎的なテクニックが確かなのもうれしい。右サイドで2点目に結びつけた川上のクロスなどは、男子の代表にも欲しいくらいのものだった。

 本番で当たる相手はカナダよりはだいぶ上だから、この日のプレーがそのまま当てはまるとは考えにくいが、わが「なでしこ」のラン・サッカー、前へ前へと攻めに出る積極的なプレーは、アテネでも評判となるはずだ。

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7月13日 日本代表 vs セルビア・モンテネグロ代表

2004/07/13(火)

セルビア・モンテネグロ戦でみせた以心伝心のゴール

キリンカップサッカー2004 
7月13日(横浜国際総合競技場)20:00
日本代表 1(0-0 1-0)0 セルビア・モンテネグロ代表

■ 対オマーン 苦戦の中でゴールを奪う力
■ 遠藤のとび出しと早いFK
■ ビッグ5リーグに27人の“ユーゴ人”
■ 右サイドのボールキープからのとび出し
■ 鈴木の精妙タッチと遠藤の沈着
■ 代表は厚みを増し、基盤はできた


対オマーン 苦戦の中でゴールを奪う力

 1週間後のアジアカップD組第1戦で日本代表がオマーンに大苦戦したことで、キリンカップ2試合の勝利の余韻はいささか心細く見えたかもしれない。しかし、このオマーン戦は、中国・重慶という異なった環境、異なったピッチでの戦いであり、日本選手の体調もよくないようだったから、若い伸び盛りのオマーンを相手にたじたじとなったもの。チームにはこういう調子の悪いときもあり得るのだから、私はこのオマーン戦のように、相手の早いプレスになかなかボールをキープできず(いま風にいうとボールポゼッションの割合が少ない――か)、ピンチが多く出るような試合でも、そのピンチを切り抜けてここというチャンスにゴールを奪うことができたことが素晴らしいと思う。

 そのオマーン戦唯一のゴールは、中村俊輔の左足の巧みなスライスシュートによる。シュートそのもののみごとさに称賛が集まるのは当然だが、俊輔のこのシュートを生み出した流れは、右よりのFKのときに、左前へ飛び出した遠藤にボールが送られたところからはじまっている。つまり、キリンカップの2試合で、日本代表が演じたボランチの選手のとび出しによる決定的なチャンスメークがここでも成功したのだった。


遠藤のとび出しと早いFK

 前半34分のこのゴールをテレビ映像で見た私たちは、日本側の素早いFKをカメラがとらえずに、遠藤がペナルティエリア左サイドぎりぎりでボールを受けたところから見た。遠藤が短くキープして左後方の三都主にパスを送ると、三都主はこれを止めないで左足で叩き、中央の玉田へ送った。ボールは相手DFがインターセプトして玉田にはわたらなかったが、球勢が強かったためにコントロールできず、DFは体勢を崩してしまう。エリア外からこのボールに走りよった中村俊輔が拾い、相手2人をかわしてシュートへ持っていったのだった。

 相手のプレスに悩まされ、ボールがつながらなかった日本が、FKのチャンスに、ゴール左の深い位置のスペースを狙った遠藤とキッカーの意図が合い、その遠藤のサポートに三都主が左サイドをあがったこと。いわば、ゴールを狙う“時間”と“スペース”を“いま”、“ここ”だと攻撃陣が同じように感じたことが得点につながったのだ。

 オマーン戦の1週間前に日本代表がセルビア・モンテネグロ代表という強チームを相手に演じた1-0の勝利と、そのゴールシーンを回想しつつ、あらためてこのゴールの意味について考えてみよう。


ビッグ5リーグに27人の“ユーゴ人”

 バルカンの大国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が東欧の変革の嵐の中で分裂していった過程は、この地の民族・宗教の複雑な入り組み方とその歴史について詳しくない私たちには理解が難しいが、サッカー愛好家にとって、ユーゴスラビアは東欧のブラジルといわれるほど個人技のレベルが高い地域であり、また独自の政策によって、社会主義時代にも選手の海外移籍が条件付きで認められていたところだ。多くのプレーヤーやコーチが海外で成功し、5つの共和国に分かれたあとも、いぜんとしてこの地域から生まれるフットボーラーへの評価は高く、ヨーロッパのビッグ5と呼ばれるイタリア、スペイン、イングランド、ドイツ、フランスのトップリーグには合計27人のセルビア・モンテネグロ人がプレーしている。ユーゴスラビアの本流であっても、セルビア・モンテネグロは人口わずか1000万人。それも内戦などの影響で選手育成が難しかった時期を考えれば、“ユーゴ人”への西欧サッカーの期待の深さが知れる。

 今回来日した代表の中に、残念ながら、そのビッグ5のメンバーは多くはない。ワールドカップ予選に向かって代表の立て直しをはかり、1980年以降生まれが半数を占める若いチーム。監督のイリア・ペトコビッチは1974年ワールドカップ(西ドイツ)で7番を着けてプレーしていたから、日本の古いファンも記憶があるかも…。前任のデヤン・サビチェビッチの方は若くてプレーヤーでも有名だったが、ヨーロッパ選手権予選の不振で解任されている。この予選ではイタリアと2引き分け、ウェールズに2勝しながら、フィンランドと1勝1敗、アゼルバイジャンになんと1分1敗で、これが響いてポルトガル行きを逃している。
 その気になればイタリアなどの強豪国と互角に戦える、というこの戦績をみれば、セルビア・モンテネグロと名は代わり、国土も人口も小さくなっても、彼らにはユーゴスラビアの伝統を受け継ぐ力があるといえる。

 さて、そのセルビア・モンテネグロの新しい代表との試合は、まことに伯仲の好ゲームだった。私には、旧ユーゴ特有のボールキープと、ややゆるやかなテンポのパス交換からシュートのスペースを生み出し、日本のゴールを襲う彼らのプレーが懐かしく、充分に楽しむことができた。1961年に日本代表との試合を国立競技場でみて以来、変わらぬ技巧の高さとともに、ボールキープの割に得点力が低い伝統が残っているのも面白かったが、おかげで日本の唯一のゴールがクローズアップされることになる。


右サイドのボールキープからのとび出し

 前半の日本のシュートは8本、セルビア・モンテネグロは4本。
 後半にはいると、セルビアがはじめから攻勢に出たが、2分ばかりそれに堪えた日本が先制ゴールを奪った。そのスタートは、相手のロビングパスを拾った三都主が、自陣25メートル中央左よりでキープし、左にいた中村にパスを送るところからだった。
1)後方へ戻りながらボールを受けた中村は、広いスペースで内側に4分の1円を描きつつ、右後方の田中へ。
2)田中は右タッチ際の加地に渡す。
3)相手はハーフラインより向こうに引いてしまい、余裕をもった加地は前を向いてから、
4)内側の遠藤に横パス。自分は前進する。
5)ドリブルでハーフラインを越えた遠藤は、さらにドリブルで進みながらもう1度右の加地へパス。
6)右タッチぞい9メートル入ったところでボールを受けた加地に、相手が間合いをはかって接近。加地は例によってまず内を向き、シャラツの接近を見ながら右足アウトサイド  で内側へパス。
7)センターサークルの右よりで、このボールを福西が受けて、タテに持って出る。
8)このとき遠藤が相手のウラへスタート。
9)福西は前方へパスを送ったが、目標は遠藤でなく、その内側、やや前方の位置にいた鈴木へ。
10)鈴木は、いい初動でボールを迎えにもどり、背後からDFが接近する前に左足アウトサイドでタッチして、自分の背後へボールを流し込む。
11)そのボールが、遠藤を止めるためにスタートしたヨキッチの内側を通り、遠藤はヨキッチとすれ違いになって、ペナルティエリア右角やや内側で全くフリーでボールをとる。
12)遠藤の突破をみたえGKイエブリッチはゴールエリア右角から前へとび出してきたが、遠藤はこれを右足の切り返しで内にかわし、左足で無人のゴールに流し込んだ。

 中村がボールを受けてから、右へ回し、右サイドのキープから遠藤が決めるまで28秒。ユーゴサッカーのお株を奪う確実なボールポゼッションからのみごとな組み立てとフィニッシュだった。

 試合後の記者会見でペトコビッチ監督が「ミスで失点した」といったのは、遠藤のとび出しを見たヨキッチのアプローチの拙さ(あまり急いで詰めようとしたため、鈴木のパスが自分のすぐ横を通るのに足が出なかった)のことだろう。日本側の中盤でのボールの動かし方と遠藤のとび出しのタイミングが、相手の23歳のDFの判断を狂わせたともいえる。


鈴木の精妙タッチと遠藤の沈着

 この得点への流れの中で、誰もが称賛したのがノーマークでエリア内に侵入してボールを持った遠藤の落ち着きぶり。相手GKがとび出してくるのを見きわめて、内側にかわして、DFがつめるより早くシュートした。
 それも無人のゴールを意識して、強いボールよりも、まず相手に取られない間に、すばやく正確に転がした。

もうひとつは、福西からのボールが、走った遠藤に直接ゆかずに、まず鈴木へ向かったこと。そして鈴木がDFの背後からの接近をにらみつつ、左アウトでタッチして、ボールをDFライン後方へ方向を変えて流したことだ。このプレーは私自身も旧制中学、あるいは大学のチームでCFをしていたころ何度かくりかえし、右足アウトサイドの流し込みで岩谷俊夫や兄・太郎たちにシュートさせ、ひそかに快感を味わった。鈴木の場合はこの高いレベルでの試合で、ボールに当てる足の角度ひとつで決定的なラストパスを成功させたのだから、いい気分だったに違いない。


代表は厚みを増し、基盤はできた

 こういう複数のプレーヤーが、それぞれ得意の持ち方やキックやドリブルを組合せる攻撃で、欧州遠征のころから、しだいに選手間のイキが合うようになってきていることは、これまでも折にふれて紹介してきた。
 日本代表はいよいよ一体感を増し、そのチームワークと攻撃力が、セルビア・モンテネグロの若い代表相手にも通じることをキリンカップで示すことができた。ただし、このチームワークは決して完成でなく、ようやく基盤ができたというところである。
 両サイドからのクロスにしても、必ずしも精度が高まったわけでもなく、また点を取るべき決定的なチャンスにしても必ずしもシュート力は充分というわけでもない。
 中田英寿や稲本潤一、小野伸二、そして久保竜彦がいなくても、この程度はできるということ。遠藤、福西の進歩。そして中村俊輔がチームの中軸としての自信を備えてきたこと。中澤佑二がパーフェクトに近い守りでミロセビッチを抑え、ときに前方へとび出して攻撃を引っぱる瞬間をつくるようになったこと。川口能活が戦列にもどったこと。ぐんぐん伸びてきた坪井の故障は、本人にも、チームにも痛いが、ジーコのもとに集まった日本代表はかつてない厚みをみせた。
 あとは、控えにまわっていた選手が出場したときに、試合の流れをかえるようなプレーをするために、それぞれの持ち芸の精度を高めることだ。
 玉田圭司という注目の選手が、なぜ代表でのゴールが少ないかについては別の機会に譲るとし、2006年ワールドカップドイツ大会に向かって、日本代表が、そのチームコンセプトを選手たちの工夫と相互理解によって作りあげたことを日本のファンの前で披露したのがキリンカップ・サッカーの7月前半の試合であった。

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7月9日 日本代表 vs スロバキア代表

2004/07/09(金)

日本代表 チームとしての呼吸のあったプレーをいくつか見た

キリンカップサッカー2004 
7月9日(広島ビッグアーチ)19:20
日本代表 3(1-0 2-1)1 スロバキア代表

■ 広島ビッグアーチの感慨
■ 中村のCK、福西のヘッド
■ チャンスでの集中力
■ 好パス、好シュートの伏線
■ 労多きプレスが報われた3点目


広島ビッグアーチの感慨

 ドナウ河を旅して、その周辺の国々のサッカーを眺めてみたい。ずいぶん前からのこの願いは、まだかなえられずにいるが、今度のキリンカップサッカー 2004は、ドナウ流域の国からスロバキア代表とセルビア・モンテネグロ代表を招いて、日本代表との3チームによるラウンドロビンの大会となった。
 その第1戦、広島ビッグアーチで7月9日夜に行われた日本代表対スロバキア代表の試合を見た。

 “のぞみ”に乗れば新神戸から広島までは1時間13分。駅前からシャトルバスが往復1600円でビッグアーチへ運んでくれる。
 アジア競技大会開催のために作られたこの立派なスタジアムは、ワールドカップ開催のときに、会場の条件である“屋根つき”にならなかった。埼玉、静岡とともに“サッカーどころ”として知られていた広島が、ついに2002年ワールドカップ開催地にならなかったのは、広島のサッカー人にとって、まことに残念だったに違いない。
 しかし、なんといっても、これだけのスタジアムを作ったからこそ、アジア競技大会もアジア選手権も開催できた。アジア選手権の優勝が、1993年開幕のJリーグへの大きなバックアップとなったことを考えれば、やはりこのスタジアムには感謝しなければなるまい。そして、ここを本拠とするサンフレッチェ広島の若手育成の力――。途切れることなく各年代の日本代表に選手を送り出しているこの地のサッカー人の力には敬服のほかはない。

 久しぶりにやって来たスタジアムでは思うことが多いが、場内に響くメンバー紹介のアナウンスに、こちらの気分も一気に試合にひきこまれていく。そのアナウンスでスタンドが最も大きな歓声を上げたのが中村俊輔だった。サンフレッチェでプレーした久保竜彦がこの場にいれば、どんなにファンは喜んだだろう――、と思った。


中村のCK、福西のヘッド

 その久保を欠いた日本代表はスロバキア代表を3-1で破った。
 例によって得点シーンを振り返りながら、試合の流れと、その中の一人ひとりのプレーに注目してみよう。

 日本の先制ゴールは前半も終わろうとする44分。左CKを中村俊輔が蹴り、福西がヘディングで決めた。ニアポストより、ゴールエリアへの中村の見事な“パス”といえる左足のCKに、近い玉田が一番早くジャンプした。彼の背後、福西との間にいた相手のDFはボールを見失ったかもしれない。その後ろの福西も玉田につづいてジャンプ。俊輔のキックの出だしのところで自分のところへ来ると確信したのだろう(ジャンプしたらノーマークだったのでしめたと思った=試合後の福西の話)。ニアポストぎりぎりに、左下に叩き込んだ。
 福西はボールを扱う姿勢の美しいプレーヤーで、ヘディングのジャンプのときも、真っすぐの美しい姿勢と、振りの小さい頭の叩きつけがいい。いまや伝説となった釜本邦茂だが、近頃はそのジャンプヘディングの美しく力強いフォームについて語るものは少ない。その釜本と同じ形の、福西の安定感あるヘディングは、それまでのスタンドの不満を一気に吹き消すものだった。
 このCKのときは、中澤祐二と宮本恒靖の役割もあった。中澤の存在は――ボールはニアサイドの福西のものとなったが――そこに相手DFを警戒させていた。宮本はGKチョントファルスキーの前に立って(ファウルではなく)、巧みにGKのスタートを遅らせていた。


チャンスでの集中力

 それまでいくつかチャンスをつくりながらゴールできず、中頃からパスミスを拾われてピンチもあった。はじめは日本の早い動きに苦しんだスロバキアが、それに慣れ、シュートまでいくようになっていた。そのまま前半を終わっていれば相手側に元気づかせるところを、終了間際のここというCKをものにし、チーム全体の意思統一、ピッチ上のイレブンが「ア・ウン」の呼吸で役割を担い、果たせるようになっていることを見せた。

 実はこの日、広島までやってきた私のお目当てのひとつは福西崇史にあった。
 誰が見ても、もう一段上のランクに入れるプレーヤー福西が、そのキャリアと年齢からみて今年あたりに一皮むけてほしいと私は願っていて、5月に杉山隆一(メキシコ五輪銅メダル。磐田OB)と、そのことで話したこともあった。
 前半16分に後方から飛び出して三都主―玉田―福西と渡ったボールを中へ入れ、鈴木のシュートを引き出し、また先制点の直後に、三都主の左サイドの突破からのパスを受けて左足ダイレクトシュートを放っている(GKセーブ)。まずは、福西が代表チームで積極性を出した。喜ぶべきプレーといえた。

 例によってというべきか、日本代表はヨーロッパの中位以下のこのクラスにもゴールを奪われる。後半20分の右CKから、ゴール正面にいたバブニッチに見事なジャンプヘディングでGK川口の左足下を抜かれたもの。
 13番をつけたジョフチャークの右足のキックが予想外のカーブと高さだったのか、宮本がジャンプヘッドを失敗し、バブニッチ(176cm)がノーマークの形になった。この失点の因となるCKは、右ハーフライン近くからのスローインを奪われ、そのあとバブニッチの右斜めへのドリブルで生まれたもの。奪われ方も問題はあるが、私はこのときのバブニッチの長いドリブルに、やはりこのクラスのチームにも、チャンスに自分のドリブルで仕掛けるヨーロッパのサッカーがあることを再認識した。


好パス、好シュートの伏線

 同点ゴールの1分後に日本の2点目。これは、中央左よりのFKから三都主―中村―鈴木と渡って、鈴木がゴール右よりからシュートを決めた。
 中村が三都主からボールを受け、ターンし、狭い空間を左足サイドキックのパスで通して鈴木のシュートチャンスを作ったこと。鈴木が、飛び出してくるGKに対して深い角度のシュートを、それも滑り込んでくるのを予想し、小さく浮かせて体や足に当たらないようにしたところが、ゴールにつながった。
 ただし、中村のパスの伏線として、三都主の巧みなフェイクがある。FKを蹴る前に、ボールを両手で持ってゆっくりとプレースし、置いたボールを次の瞬間には蹴った。
 彼から中村へのコースは、三都主の最も得意な角度だったから、急いで蹴ってもボールは狙いどおり、しかもバウンドをさせずに俊輔の足元へゆく。中村にとっては、こういうボールをもらえば、あとは何でもできる。
 決定的なパスを出すプレーヤーに送る「何気ないパスが重要」というのは、1940年代から50年代前半にパスの名手といわれた、兄・太郎(第1、2回アジア大会代表)がよく口にした言葉だが、三都主の“芝居”つきの何気ないパスもまた、見事なチームプレーのひとつだった。


労多きプレスが報われた3点目

 勢いづいた日本は、中澤佑二の飛び出しという場面もあり、スタンドは3点目を期待する。36分のこのゴールは、GKへのバックパスを追った柳沢が、そのボールを奪って決めるという、相手側からみればGKのミス以外の何物でもないだろうが、私は日本のラン・サッカー、プレス・サッカーの象徴だと思った。
 GKチョントファルスキーがボールを受けたときに、すぐ蹴ってしまえばいいところを、ボールをまたぐフェイントといった余計なことをしたのが命取りになったが、これは、かつてのコロンビア代表GKイギータが90年ワールドカップでカメルーンのロジェ・ミラにボールを奪われたときと同じだった。
 GKの責任も大きいが、そのGKへのバックパスの前に、スロバキアのDF間のパスに対して本山雅志が詰め、ついでタッチ際で三浦淳がプレスをかけて、GKへボールを戻さなければならぬように追い込んだところがポイントだった。ここでプレスをかけようという、新しくピッチに立った本山たちの呼吸が合ったところに3点目の意義があり、決めた柳沢に一番先に駆け寄った本山の顔には、協力しあった喜びがあふれていた。

 「選手の自主」を強調するジーコのやり方に苦情の声も多かったが、選手達の間にチームとしての一体感が生まれはじめ、それがプレーの上にあらわれはじめている。中田英寿や稲本潤一、小野伸二たち、さらには売り出し中の久保もいないチームだが、日本代表はどうやら11人だけでなくその外側もひとつになっていることを思わせるスロバキア戦だった。
 この一体感とチームプレーが、スロバキアより上の、現実にスロバキアを2-0で破ったセルビア・モンテネグロ戦でどうあらわれるかを見たいものだ。

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